100人いたら100通りのお産があるように、マタニティライフもそうですよね。
風邪ひとつひかず30年近く過ごしてきたので、出産も何のトラブルもないだろうと勝手に思い込んでいた無知なわたし・・・
ふたを開けてみれば、もともと子宮経管長が平均よりも短く、何度妊娠しても切迫流産・切迫早産になるだろうといわれ、描いていたハッピーマタニティライフはがらがらーっと音をたてて崩れました。
そして出産までの8ヶ月、寝たきりーライフ!
そこで痛感した大切なことは
①子どもがほしいと願うなら、早期から家族計画を立てること
②それを実現していくために「自分の体質の把握」をすること
③万が一に備えて環境や経済面などの事前準備をしておくこと
この3つでした!
①家族計画を立てよう
女性の妊娠能力は閉経するまでずっと一定というものではないため(卵子の数は32~35歳頃から急激に減少し、37歳頃には2万個にまで減る)、例えば目安で37歳までにうみたい人数をうみ終えること考え、仮に一番スムーズに妊娠出産をしていくならば、いくつから妊娠をスタートすればいいかを逆算しよう。
②自分の体質の把握をしよう
ただし家族計画を立てても人生は思い通りにならないもの。
そのため次に、イレギュラーなことがあることを前提に、立てた計画に数年余裕をもたせて妊娠のスタート時期を逆算しなおそう!
また、きちんと時間をつくり健診を受けて自分のからだと向き合うことがとても大切だ。
婦人科へは「何かあってから行く」スタイルが大半だろうが、「何もなくても行く」ようなかかりつけ医があると一番安心だろう。
自分の体質やからだの状態を把握することは、トラブルを早期に見つけることはもちろん、立てた家族計画や仕事の調整、また家族みんなで妊娠出産のしっかりした受け入れ態勢が整えられる。
体質と体調は別もの~短かった子宮経管長~
わたしの場合・・
月経痛もないし、下半身もしっかりしていてきっとわたしは安産タイプ♪勝手にそう思っていた。
また、妊娠が分かった時、大切な命を授かったことへの喜びはとても大きく、気持ちも環境も万全な体制で赤ちゃんを迎えたい!そう強く思ったものだ。
「子ども服選びにお店はしごしたり、残りの一人時間を満喫して美味しいランチを食べたりしよう」
そんな素敵なマタニティライフも思い浮かべた。
ところが!!
しばらくしてから測られ始めた子宮頸管長。その長さがもともと短めで、何度妊娠しても切迫流産・切迫早産になりますよ、と言われたのだった。
ただ初めての妊娠で、どれくらいの長さになったらいよいよ危険なのかがいまいちわからず、
『大体平均で35~40mmあるものが、あなたは30mmでね』と説明された時にも
『先生・・たった5mmやん!』と本気で思ったものだ。
数ヶ月後・・1mmの重みを理解したわたし。頭の中は子宮頸管長のことでい~っぱい!(笑)
25mmをきったら入院だと聞き、1mmでも伸びていると言われればガッツポーズ。逆にくしゃみしてお腹が張ると、しまった~と後悔し、その長さのほんの少しの違いで一喜一憂する毎日。
健康だからといって出産までの道のりがスムーズだとは限らないこと、体質と体調は別ものであることを感じながらの妊娠期間スタートとなった。
③万が一に備えて環境や経済面などの事前準備をしておくこと
妊娠中、出血して大慌てした経験を持つ人は少なくないだろう。
わたしもその一人で、妊娠初期に目を大きく腫らしながら病院へ駆け込んだ日があった。
そして先生からは、早期からの入院が必要になるかもしれないからとすぐにでも出産先に帰省をした方がいいと言われた。
出血し妊娠初期から帰省することに!
出産するまでとはいえ、終わりのない要安静を告げられ、挨拶もできないままパートを辞めることに・・自分のものも赤ちゃんのものも全く荷造りができないまま帰省することになってしまった!
ただでさえ初めての出産で準備物や手続きが十分に分かっていなかったのに、不安しかなかったものだ。
ほぼ身一つで、急遽帰省したのにもかかわらず『任せなさいっ!』と実家の母が全面サポートをかって出てくれたことが本当にありがたかった。(わたしも娘に同じように対応することで母への恩を返すぞ!おー!)
気持ちは元気なのに、動きたくても動けないのがもどかしくてもどかしくて!
それに家からなかなか出れないとなると行きたいところだらけで、行きたいところリストを作っていたものだ。
駅ビルだなんて夢のまた夢。3位はスーパー、2位はコンビニ、1位は・・100均!今思えばすごく身近で手頃な希望(笑)それでもあの頃はどーーしても行きたかったなー。
ついに入院、そして緊急帝王切開
その後結局、子宮経管長は25mmをきり、ラスト一月は入院することに!
「あれーー(驚き!!)これだけ大人しくしていたのに・・」と思いつつ、赤ちゃんのことを考えると安心か、と思ったのを覚えている。
余談だが、点滴の注射より、なかなか入れないお風呂よりも何よりも、思った食事が食べられないのは食いしん坊にとっては辛すぎた。
特に週末は食堂が閉まる都合でうどん率が高く、そのうどんが・・うどんが・・既にもう汁吸えるだけ吸いましたの状態で出て来る。
それなのに汁だく!もう吸えないだろうに。3回目で泣いたよー。
緊急帝王切開
お腹の中ではなかなか大きくなりにくかったため、正期産に入ってすぐに計画分娩になったものの、小ぶりだった娘がお産に耐えられるか分からないと緊急帝王切開になった!
ただその時に助産師さんに言われたことがもの凄く励みになった。
「小さくうまれた赤ちゃんには、その子用に更に栄養たっぷりの母乳が出るから、うんでから大きくすればいいのよ。だからこれは前向きな選択よ。」
『小さめなのは寝たきりで運動不足だったからかな・・、母体が居心地の良い環境ではなかったからかな・・』そんな風に色々考えてしまっていたわたしにとって大きな支えの言葉となった。
娘は2140gと予想よりも更に小さくうまれたものの、助産師さんに言われた通り母乳でぐぐっと大きくなり、3ヶ月後には平均値に成長!
その子にあった母乳が出るだなんて、女性のからだの神秘、出産の神秘に本当に驚いたものだ。
2人目は前事準備を万端にしてから妊活
さて、一人目の妊娠出産で自分の体質を知り、何度妊娠しても同じようになることが分かっていたため、必要性を痛感した「事前準備」を万端にしてから二人目の妊活を試みました!
まず、妊娠初期から一年帰省することを見越して、自分と娘の一年分の服や靴や使うもの、二人目の赤ちゃん用の産着や服やガーゼなどを段ボールに6箱作っておいた。
次に、お世話になる実家に部屋の準備を頼んだり、自分の習い事の仲間に突然になるだろう休会の挨拶をしたりしておいた。
はたから見ると妊娠前から不思議な行動だっただろうが、自分のからだを理解していたからこそ、そして描く家族計画があったからこそとった行動だった。
最後に、一番大切だったものの一番苦労したのが2歳の娘の幼稚園探し!
一番気がかりだったのは「妊娠中の上の娘の生活」
思うように相手ができないことが分かっていたし、それなのに一年間家で一緒に過ごそうというのは娘にとってベストな選択ではないだろうと、帰省先でお世話になれる幼稚園探しを始めた。
わたしの家の近くには2歳から4年保育が受けられる幼稚園がいくつかあったのに対し、実家のある地域では4年保育が認められていなかったためかなり難航したものだ。
とはいえ何か特別なクラスを設けている園があるかもしれないと、幼稚園の一覧を片手に、娘のお昼寝の時間に毎日電話をし続けた。
みんな同じように、4年保育は認められていないのでクラスがないと断られ、「一年のばして幼稚園に入れるようになってから妊活をしようか・・」とも考えながらかけた20数件目でなんと!ある幼稚園の園長先生が事情を理解してくださり、
「次年度入園希望の子にプレ保育に通ってもらっているので、そこで一緒にみましょう」と言ってもらえた(涙)こうして全てが揃ってついに妊活を開始した。
数ヶ月後に二人目の妊娠が分かり、詰めていた荷物の段ボールを実家に送り、すぐに実家に帰省したのだった。
結局、プレ保育の人数が少ない時には年少さんに混ざって同じことを経験させてもらえ、一生ご恩を忘れない経験となった。
受け入れてくださった園長先生と先生方、かわいいかわいいと遊んでくれたり手紙をくれたり友情を教えてくれた園児のみんな、毎日お弁当を作って送り迎えをしてくれた母。
そしてたった2歳だったのに一度も泣くことも嫌がることもなく一年通ってくれた娘。
みーんなのサポートがあっての出産だった!
最後に
我が子に会うため!と思っていても。
長い人生のうちの数ヶ月!と分かっていても。
妊娠期に思うように動けなかったりトラブルを抱えていると、当の本人には長い時間に感じられて辛いものですよね。
これから家族計画を立てる人も、計画を進めている人も、是非自分のからだと向き合い、体質を理解し、身の回りの環境を十分に整えていきたいものですね。
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