性的同意年齢の記事で他国の性教育を少しだけ紹介しましたが、日本の性教育は時間においても内容においても他国よりも相当不十分で遅れをとっています。
未来ある子ども達はもちろん、まだまだ先々の人生が長いわたし達大人の人生設計や家族計画においても、性の知識やスキルの習得は必須であり、誰もがそれにまつわる情報を欲しています。
そしてその情報は誰もが受け取れるべきです。
必要な正しい性の情報が十分に届かない日本。これには色々な背景がありますが、きっかけの一つとなったのが「性教育バッシング事件」です。
2003年、都内の養護学校で、性教育を受ける権利を大切にし具体的かつ先進的に独自の性教育を行ったことに対し、大人の性教育タブー視や間違った概念が引き起こしてしまったこの事件を、みなさんにも知ってもらいたいと思います。

包括的性教育のガイドラインが出た1991年
1991年、SIECUS(全米性情報教育協議会)が包括的性教育のガイドラインを出した。
<ジェンダーの平等>
社会的・文化的に形成されたてきた「男だからこうあるべき~」「女だからこうあるべき~」という職業や家庭内の仕事などにおいての役割の先入観を持つことなく、すべての人にとってすべての得られる機会が平等であるべきもの。
<多様性>
性別二元論や異性愛主義にとらわれず、からだ(性器)の性別と、こころ(脳)の性別の不一致などのすべてが認められるべきもの。(LGBTQ+の理解を広めたい)
この2つが不可欠であるというのが、世界の性教育の常識となった。
単なる生理学的教育ではなく、人権を基盤に健康に関わる科学的知識として学び、人間関係や性行動において「自身と相手の立場を考え、自ら選択できる力やスキル」を身につけていこうという姿勢だ。
例えばこんなことを学ぶ。
- 社会の中で、どのように自分の性・ジェンダーのあり方を選ぶのか
- 自分がいつ、だれと性行為を持つか、またどのような避妊方法を使うのか
- いつ子どもをもち、どのような家族をもつのか
- 自分と相手を大切にするためにはどうしたらよいのか
同時期に日本ではエイズが社会問題に・性教育前進の兆し
日本でエイズが社会問題化したのは1980年代後半~1990年代前半だ。
上記のガイドラインが出たタイミングでのエイズの社会問題化は、性教育の必要性を見直す後押しとなった。
1992年の学習指導要領改訂の際には、HIV教育の必要性が取り上げられ、人体の学習が6年生から3年生に前倒しされたり、5年生に「人の発生と成長」が位置づけられたりと、性教育前進の兆しが見られるようになった。
試行錯誤のもと向き合った教育現場
「寝た子を起こすまい」と、ごく表面のみ(思春期の成長は「男子=声変わり」など)の指導をしてきた教育現場では、より具体的(思春期の成長は「男子=精通=射精」など)に指導することになり大混乱になったという。
2003年の「性教育バッシング事件」

そんな性教育前進の兆しが見られていた中で起きたのが、東京都日野市の七生養護学校(現東京都立七生特別支援学校)で、知的障害を持つ児童に対して行われていた性教育の授業内容が不適切であるとの非難をうけ、東京都教育委員会が当時の校長と教職員に対し厳重注意処分を行った「性教育バッシング事件」だ。
授業内容
授業内容は、世界の性教育の現場で採用されている人形(「スージーとフレッド人形」という体毛や性器があるもので、からだの変化が分かるよう様々な年代と性の種類がある人形)を使って視覚的にうったえる授業や、「からだうた」という「頭の下には首があって肩がある~・・おなかの下にペニス(ワギナ)だよ~」と、歌うことで心の交流を深めつつ、歌詞の言葉で体のつながりや名称を意識させていく歌遊びであった。
校長会では先進的だと評価され、同様の悩みを持つ他地域の養護学校からの研修も積極的に受け入れていた。

これを批判した都議会議員
これに対しある都議会議員が都議会にて、当時の東京都教育長に「行き過ぎたジェンダー・性教育であり、世間の常識とかけ離れた教育だ」と批判し、東京都教育委員会(以下都教委)に「毅然とした対処」を要求した。
その後非難の高まりを受けて、都教委は「授業内容が不適切である」として、教育委員会の職員、校長も含めた都立盲学校・養護学校合わせて学校管理職37人、教員等65人、教育庁関係者14人(計116人)を処分した。(校長は降格ならびに停職1ヶ月の懲戒処分)
2005年に一部の教員と保護者で「性教育に一部の都議や都教育委員会が介入したのは違法だ」と東京地裁に訴訟提起し、2013年に最高裁判決により原告、被告双方の上告を棄却する決定をした。
その際、東京高裁は「望ましい取り組みだった」と明言した。
判決までの10年で日本の性教育は停滞・後退した

先進的な性教育をしていたのにもかかわらず非難および処分されたこの一件で、現場の教員は明日は我が身と戦々恐々と指導するようになったのは言うまでもない。
判決までの10年、世界の性教育は前進する一方で、日本の性教育は停滞、後退していったのだ。
ただ、その中でも性教育の後退を危惧し、また包括的な性教育が必須であることを確信し、多くの医師や助産師、教師などが出前授業などで教育現場に赴き、出来る性教育を継続してきたことも忘れてはいけないだろう。
2018年足立区立の中学校での性教育の一件
これは記憶に新しい人が多いかもしれない。2003年の性教育バッシング事件を彷彿とさせる一件であった。
内容を紹介しよう。
学習指導要領では、中学校では「受精、妊娠を取り扱い、妊娠の経過は取り扱わない。保護者の理解を得る」、高校では「妊娠、人工妊娠中絶の内容に触れる」とある中、足立区立の中学校で、本来は高校で取り扱う避妊や人工妊娠中絶について扱う授業が行われた。
授業は中学3年生を対象に「思いがけない妊娠をしないためには、産み育てられる状況になるまで性交を避けること」とした上で、避妊について伝えたものだったが、これについて都議会議員の一人(03年の性教育バッシング事件にも大きく関与した議員)が「生徒の発達段階を無視した指導で、不適切」などと批判をしたものだ。
東教委は「保護者の理解を必ずしも十分に得ないまま行われた」とした上で「課題のある授業」とした。
<ここで思うこと>
今回は、2003年の時のように都教委からは「課題はある」とされながらも「不適切である」とはされなかったことからも、日本の性教育の在り方が少し前進していることを感じる。
一方で、いまだにこのような発言があるということは、まだ大人においても包括的な性教育は人権教育であることが周知されていないこともわかる。
日本の性教育が後退した他の理由
日本では長く「生殖の性」が第一義的にとらえられてきた。
一方で性行為における快楽性は隠され、心のつながりとしての性はないがしろにされてきた。
性に関することで心身ともに満たされて幸せを感じられることや、それを社会的に認めることが、それぞれの人生にいかに必要であるか、大切とされるべきか、その理解や浸透にとても長い時間がかかっているといえる。
性行為は生殖だけではなく、快楽性や心のつながりをも含むものであるし、それらの充実は一人ひとりがつくっていくべき豊かな人生に大きく関わっている。
そのため自身の性と向き合い、人間関係や性行動において自ら選択できる力やスキルを身につけることは必須であり、多教科を横断して学習するような包括的な性教育が必要なのだ。
さいごに
2003年の性教育バッシング事件は大変悔しいものではあるが、その中ででも性教育の拡散を続けた方たちの行動や思いに感謝すると同時に、そのおかげで少しずついま前進している日本の性教育が歩みを止めないこと、また欲を言うならばスピードアップすることを願う。
コメント