10年ほど前、年少さんだったわたしの子どもの友達が沢山の習い事をしていることに驚き、そして焦りを覚えた記憶があります。
公文や七田式、英語といった学習系と、スイミングの組み合わせが多く、スイミングは中学の臨海学校で遠泳があるからそれに備えてやっていると聞いた時にはまたまた驚いたものです。
いま周りを見ても、塾、プログラミング、スポーツのクラブチームと幼少期とは選択している習い事が違うものの、相変わらず多くの子ども達が習い事に追われています。
もちろん子ども自身が目標を持ち、精一杯取り組んでいる例もあるでしょうし、学童に入れなかったけれど家に一人ではいさせたくないという共働き世帯の事情がある例もあるでしょう。
また遊ぶ時間が出来ても、今度は遊ぶ場所に頭を抱えることも多いように思えます。
「ボール禁止」の立て札が立てられている公園は多く、公園の向かいの家からの苦情がきっかけで静かに過ごすように促される公園もあるとニュースで見ました。
ただやはり、友達と思い切り日の光を十分に浴びながら遊ぶ、これはきっといつでもできることではありませんよね。
中学に進学すると部活や定期テスト、受験と一気に忙しくなるものです。
「時間・空間・仲間」これらが揃いやすい期間は限られているでしょうから、小学生のうちは習い事を詰め込みすぎず、そして社会は子ども達の遊び場を奪うことなく見守りたいものです。
発達心理学を専門とする内田信子お茶の水女子大学名誉教授は、外遊びにより視力・運動能力・言葉の力が育まれ、それにより自己肯定感の向上にもつながると言います。
自発性の活動である外遊びは実行力と、更にその中で他の人と向き合うことで社会性や自制心をも成長させるそうです。
それを聞いて、息子とその友達の外遊びについていった時のことを思い出したので紹介しますね。
ドッジボールをするのに最初はグーパーのじゃんけんでチーム分けをしてみたり、今度は2つのチームが均等な力になるように考えてみたり、セーフになる頭に当たるようにわざと小さくしゃがんで頭を前に出すのは反則で外野行きにしたりと、様々なことを話し合い、試し、その時のメンバーで一番楽しめるように工夫している子ども達の姿にその時は本当に感心し感動しました。
仲間とお互いの落としどころを探るというトライ&エラー、そしてそれがうまくいった時の目標達成の共有、これほど幼少期に経験してほしいことはないかもしれません。
そしてこの時、先生も教科書もない空間だからこそ得られる学びがあるものだと改めて感じつつ、あーこの空間が欠けても友達が欠けても今日の遊びは成り立たなかったんだな~と思いました。
子どもは全力で学びながら遊んでいるので公園では静かには過ごせません。
騒音と感じるかどうかは人によるでしょうが、大人も来た道です。
寛容な気持ちで見守っていきましょう!(非常識な場面は別ですが💦)
わたしの育児のモットーは【共感と共有】です。
同じ時間を同じ空間で沢山話し合い楽しんだ仲間は、きっと大切な存在になることでしょう。
外遊びの機会が増え、一人ひとりが大きく成長するきっかけになりますように!
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